
輪島塗の木地から仕上げまで
輪島市から全国に輪島塗漆器の魅力を発信している輪島キリモトの桐本泰一代表にお話をうかがいました。
――案内されたお部屋には鮮やかな輪島塗のおわん、木目のきれいな盆や箱が並んでいて、まさに工房に来たなという感じです。改めて桐本さんと輪島キリモトについて教えてください。
桐本泰一(以下、桐本):うちは輪島塗の塗師屋をルーツとしていて、さかのぼれる限りでは江戸時代末期の18世紀ころから輪島塗を製造販売してきたようです。そこから数えると私は7代目ということになります。輪島塗は漆を塗る工程が有名ですが、実は細かく分業していて、木地師は漆を塗る前の器や指物を作る職人です。私の祖父の代からはしゃもじや膳の猫足を作る朴木地(ほおきじ)屋に転業しました。朴木地業というのは木地師のなかでも主に木を刳る(くる:くり抜いたり彫り出したりする作業)のが専門の人たちです。
――もう200年以上も輪島塗に携わっているのですね!塗師屋から木地屋と繋がって、今は漆を塗りつけるところまで自社でやっていらっしゃいますね
桐本:はい、30年ほど前から自社内に漆塗の職人を抱えまして、企画製造を一貫してできるようにしました。お話ししたように高度な分業制で成り立っていた業界ですから、木地師が仕上げ、販売までやってしまうのはいかがなものかと同業者からの苦言もありました。それでも東京の百貨店などで話題になって、今は各地のお店に置いていただいています。
――先ほど木を刳るという言葉を初めて聞きました。能登ヒバも刳ったことがありますか?
桐本:いえいえ、能登ヒバは硬くて木目が複雑ですから刳ることはあまりないです。その代わりに向いているのは指物(さしもの:板材を組み合わせて作られる箱状の家具や小物)ですね。代表的なものは御膳やお盆などでしょうか。水に強いですし、反りやすいという弱点を逆手に取って、時間が立つほどにがっちりと組み合う丈夫な箱も作れます。

木と震災、つくり手がしっかりと発信
――この事務所と工房は震災後に仮設で作られたと聞きました
桐本:はい。震災前から高速道路の設置でここに工房を移転していましたが、長男夫妻は輪島市中心街の本町通り(輪島朝市が開かれる一帯)に住んでいました。ご存知のように震災に伴う火事で焼け出されてしまいまして、一時は仕事どころではないという状況でした。絶望していたところに、建築家の坂茂(ばん・しげる)さんが訪ねてきて、2日足らずで出来上がる紙管とボードの家を提案してくれたんです。震災の関係だと、廃棄されそうになった漆器を生まれ変わらせるプロジェクトもスタートしています。解体することになった住宅に残された輪島塗を譲り受けて、元の質感を残しながら今の暮らしで使いやすい新表現に挑戦しています。
――震災では林業も大きな被害を受けたようですが、今後はどのように発信を続けていきたいですか
桐本:県外の取引先とお話しするときには残念ながら「能登ヒバ」という名前はあまり通じません。アスナロとお伝えしてやっとわかってもらう感じになっています。能登ヒバは他の木に比べて優れた性能がたくさんあるにも関わらず、ほとんど知られていないのがもどかしいです。ただそれには地元の認識も大事です。能登ヒバは実は地元の人ほどいいイメージを持っていない木です。曲がりやすく均質ではないことを「あてとる」と言うほどですからね。そこは震災の被害と合わせて、ものを作るわたしたちがしっかりと発信をしていきたいなと考えています。
――ありがとうございました。